津軽三味線はどこ生まれ?

津軽三味線といえば、その名が示すように青森県の津軽地方が誕生の地と思われがちです。しかし実は、演奏スタイルが確立したのが津軽地方であって、楽曲の原型は別の地域からやってきたものだという説があります。ここでは、津軽三味線の経歴について紹介しましょう。

 

津軽三味線は新潟生まれ?

 

そもそも、三味線のルーツである弦楽器は中東生まれだといわれています。中東のシタールという古楽器には、津軽三味線の東さわりにも似た共鳴音を出す機能があるのにも注目です。

 

中東からインド、中国に渡った弦楽器は、中国で三弦と呼ばれる楽器に変身していきます。ここで3本の弦楽器となったところで日本に持ち込まれ、三味線として成立したのは江戸時代中期だといわれています。

 

三味線は日本各地で土着芸能として発達し、津軽地方では津軽三味線が育っていったというわけです。といっても、津軽三味線という呼び名は、昭和の民謡ブーム時に付けられたものだとされています。

 

津軽三味線でよく弾かれる楽曲は、もともと新潟で活躍する女性視覚障害者の瞽女(ごぜ)が弾いていたものだといいます。

 

それが津軽に伝わると、津軽ではボサマと呼ばれる男性視覚障害者が門付け芸として覚えて発達させていったようです。

 

東京に多い名奏者

 

昭和40年代の民謡ブームで津軽三味線の伴奏者の活躍の場が広がり、多くの名人が津軽から東京に移住したといいます。

 

そのため、今では名奏者の多くは津軽よりも東京にいるともいわれています。メディアへの進出も増えたことから、東京のほうが仕事に便利なのかもしれませんね。

 

津軽三味線を本格的に習いたいと思ったら津軽に行かなければならないということもなく、身近に教室を探せるようになったのは助かります。